visitjapanhearts.comを運営
するジャパンハーツ株式会社
では、独自の視点で紹介をする日本を募集しています。
お問い合わせはこちらから!

東京には、三つの顔がある。江戸と明治と未来である。どれも、じつにいい顔をしている。ご存知のように、東京は日本の首都であり、政治・経済・文化の中枢を担っている。2010年10月現在、東京の人口は約1300万人。世界有数の大都市だ。だが、じつは、東京が日本の歴史の表舞台に登場するのは、400年ほど前のことである。東京という地名にいたっては、わずか140年前だ。もちろん、「京都の東の都」という意味であった。

「お知らせ」

2012.3.9 「神奈川案内。」ページ、オープンいたしました。
2011.10.31 「広島案内。」ページ、オープンいたしました。
2011.8.4 「島根案内。」ページ、オープンいたしました。
2011.4.20 日本へ行くには?ページ東京の交通案内ページ、オープンいたしました。
2011.1.28 visitjapanherats.com「東京案内。」の「未来編」オープンいたしました。
2011.1.24 visitjapanherats.com「東京案内。」の「江戸編」「明治編」オープンいたしました。他の地域も順次オープンの予定です。どうぞお楽しみに。
2011.1.24 visitjapanherats.comオープンいたしました。

今昔物語-東京「江戸編」

その昔、東京は武蔵国の一部にすぎなかった。日本の歴史が京都を中心に動いていた時代だ。この地に、江戸四郎重継という人物が居館を置き、太田道灌という武将が江戸城を築くことになるが、江戸が世界有数の大都市へと成長していくのは、1600年以後のことである。

1600年というのは、「天下分け目の戦い」と呼ばれる関ヶ原の戦いで、徳川家康の東軍が石田三成の西軍に勝利した年だ。その3年後、征夷大将軍に任ぜられた家康は、江戸に幕府を開き、全国を支配することになる。それから1867年に政治権力を朝廷に返上する大政奉還までの、いいかえると、徳川家康から15代将軍徳川慶喜までの264年間を、江戸時代という。

江戸時代、幕藩体制の最高権力者である徳川将軍は代々、江戸城に居住し、江戸の街を将軍の城下町として整えていった。運河を掘り、河川を改修し、江戸城を拡張していったのである。大名を統制するため、参勤交代と称して、大名には江戸と国元を1年ずつ行き来させ、妻子たちを江戸に住まわせた。江戸に富と繁栄がもたらされ、貨幣経済が発達し、商人が力をつけていった。武士を最上の階級とする士農工商の身分制度は、崩壊していくことになる。対外的には、鎖国政策をとった。貿易を統制し、キリスト教を禁ずるためであった。

こうした歴史のなかで、粋を重んじる江戸の文化が花開き、育まれていった。西国で生まれた能や歌舞伎といった伝統芸能が江戸の娯楽となり、松尾芭蕉が俳句を大成し、歌麿や北斎や広重らが浮世絵を描いた。町人たちは、花見、潮干狩り、納涼、花火、月見、菊見、雪見を楽しみ、江戸の街は、朝顔市、ほおずき市、酉の市で賑わった。

江戸という顔は、きわめて生き生きとしている。それは、今でも、東京に色濃く刻まれている。ようこそ江戸へ。

江戸城の魅力、それは国内最後の幕府の地であるということ。

江戸城の本丸には、将軍の妻と側室と奥女中が起居する、男子禁制の大奥があった。3000人もの女性が暮らす大奥は、表の政治の世界を動かすこともあった。残念ながら、本丸も天守閣も大火で焼失してしまったが、115万㎡という広大な敷地には、江戸城の面影があちらこちらに残っている。

...more

浅草には、人々の生活の息づかいが残っています。

浅草は、浅草寺の門前町として栄えてきた。浅草寺は都内最古の寺である。江戸時代より1000年も遡る。隅田川で漁をしていた兄弟が、投網にかかった観音像を持ち帰り、これを当時の地方官が聖観世音菩薩として深く帰依したのが始まりだ。

...more

そびえ立つ姿はまさに空を貫く「木」そのもの、「スカイツリー」。

2012年春、世界一の高さを誇る東京スカイツリーが、向島の先にオープンする。高さ634m。634は「むさし」と読める。かつて東京がその一部であった武蔵国のことである。

...more

かつて江戸城の前にあった日本橋は、今も日本の中心。

日本橋は、江戸で最も活気ある美しい街であった。今は線路で分断されているが、江戸城の真ん前に位置している。1603年、徳川家康は川に橋をかけ、日本橋と名づけた。川の名は日本橋川である。河岸には魚市場があった。築地に移転するまで300年以上もの間、栄えた。

...more

隅田川は、今も尚、重要な交通路。

江戸時代、隅田川は大川と呼ばれていた。全長23.5km。江戸の水運の中心であった。江戸時代、この川に五つの橋がかけられた。永代橋、新大橋、両国橋(大橋)、吾妻橋(大川橋)、千住大橋である。渡し船も頻繁に往来し、隅田川の西岸と東岸を大勢の人や物が行き交った。

...more

上野には、文化が集まってくる。

上野の森には文化の香りが漂っている。それもそのはず、芸術大学・音楽ホール・美術館・博物館・こども図書館・動物園が点在している。桜の名所でもある。この上野の森に、江戸時代、徳川幕府の安泰と江戸の鎮護を祈願するため、寛永寺が建立された。

...more

向こうの島と書いて「向島」。

向島は、文字どおり、向こうの島という意味である。浅草から見れば、たしかに、隅田川の向こうにある島だ。江戸時代には、米がつくられ、金魚が養殖されていた。大名の下屋敷も多かった。
春には、吾妻橋から桜橋までの堤に、650本の桜が咲く。墨堤の桜と呼ばれ、江戸時代から人々に親しまれてきた。

...more

PAGE TOP